コロナの時代にハイデガーを読むことは多くの気づきがあると思う。 良くまとまっているエッセイで締めます。 『思考のかたち、雲のかたち』 第3回「コロナの時代にハイデガーを読む ――人・技術・自然――」 寺田匡宏(総合地球環境学研究所 研究部 客員准教授) https://j.mp/3rFiIPs



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>「独創的」なものは全て一夜のうちにならされて、とうによく知られたものに変えられる。「闘争」によって得られるものは全て単なる操作の対象になる。あらゆる「謎」が力を失う。この「平均性」は、現存在の基本的傾向の一つを露呈する。すなわち、存在のあらゆる可能性を「平坦化」する傾向である。



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ハイデガーの「頽落(たいらく)」 (1)世間話:公共世界での日常会話。平均的理解。 (2)好奇心:新しい流行と代理経験の欲。 (3)誘惑:世界に没入、服従しようとする誘惑。 (4)鎮静:落ち着かない気分を日常生活における満足によって洗い流す世俗的禊。 (5)疎外:統一された自己から自らを切り離す。



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> かくして、この特定の現存在は、その日常性において『彼ら』に責任を免除される。 ★この「彼ら」はDas Manであり「世間では」という主語であり、マスコミの論調や、現在では「ネットでは」とかTwitterでのバズりで理解できるのではないだろうか



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現代社会は「個」の抹消という恐るべき現象を生み出すこととなる。 ハイデガーのいう『彼ら』は単なる「大衆」とは異なり、現存在も「個人」と単純に同一視することはできない。唯一無二の現存在が「彼ら」に吸収され、無力な状況に置かれる。



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ハイデガーが提示したのは「大衆社会」理論に対する哲学者からの一風変わった答えともいえる。 「大衆効果」即ち、心を伴わない均一性と危険極まりない順応性を良しとする文化が「独自の判断」を行う可能性を圧し潰し「行動の自由」を雲散霧消させる。 (★ナチズムから学んだことだろうな)



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Das Man、世人は没個性的で顔の見えない集団。 > 目立たず、確認し難い故に「彼ら」の真の独裁性が発揮される。「彼ら」が楽しむ通りに私たちは楽しむ。「彼ら」が見て評価する通りに私たちは鑑賞し、評価する。「彼ら」がこれは酷いと思うその同じものについて私たちもこれは酷いと思う。



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自らも他者の便宜のために道具的に存在している。人々はこの公共的な世界での生活に埋没し、気晴らしを楽しみ時間を潰しながら生きているが、ハイデガーはこれは本来の人間らしくない生き方であり、これを頽落(たいらく)と表現し、このような生き方をしている人々のことをダス・マンと表現した。



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Das Man(世人) 人間というのは個としての死が必然であるということを自覚せざるを得ない能力を持っており、主体的に生きることが運命付けられている存在であるにもかかわらず、このことを考えずに紛らわして過ごしている人間のこと。



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長生きで広範すぎるハイデガーだけど、現社の出題としてはダス・マン(Das Man)、「世人」とも訳される概念が頻出。 マスコミの「世間では」という主語に置き換えてみるとわかりやすい。 https://j.mp/3aZBew1



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